きゃんどる洞窟 CandCave

すらりぬらりとイデアさん[idea]、手記綴ら...

ヒトとヒトとの境界線 ~「君の名は。」~



男と女。

全然違う生き物で、ホントは全く一緒の者たち。

その2つの存在が入れ替わり、互いが互いに歩み寄っていき、「初めて」出逢う物語。






久しぶりに映画館へ行きました。
やっぱりいいものですね。あの人で溢れ返らんばかりの密室空間が、照明が落ちてゆくと同時に自分だけの世界になる感覚は。

 確かに僅かには、他の誰かが近くに、隣にいると感じるのですが、はっきりとではない。自分だけの空間にいながら、しかし時たま一歩引いたような心持ちにもなる。その曖昧模糊とした、茫漠たる空間のなかで一つの作品を観る、というのも...よくよく思えば面白いものですね。


そんなことを久しぶりの映画館でふと思った私が今回観てきた作品はというと、

20160827155441.jpg 

「君の名は。」

累計動員数、興行収入ともに現在もグングン伸びているそうな、
あの新海誠さんの最新作で御座います。

この状況になると、もう既に作品を観る前から次回作への更なる期待が高まるものですね。

 今回劇場へ行くにあたって、新しげなカードをつくってきました。
東宝系ということもあって今後観に行くであろう「シン・ゴジラ」(まだ観てないのじゃ)の為であります。
その名もシネマイレージ。
何やら6回観に行けば、1回分タダになるそうです。(だったかな?)
良心的。コリャアリガタイ。
なにせ某○テーションシネマのカードなんてポイント貯めてもせいぜいモロコシですからね。
最大ランクでモロコシハーフ&ハーフです。謎です。
普段映画でポップコーンやら食べない私にとっては、そんなものは夏炉冬扇。
早いとこ後5回観に行って、1回分タダにしてやることにしましょう。


 さて、それでは早速本題に入ります。
実はこの作品。存在を知った春頃だったでしょうか。
パッと見の内容をさらっと見た時から、物語の突き詰め方によっては非情に傑作になるのではないかと感じていました。

 だったら観てきた結果としてどうだったの、となるのですが...ちょっとむむっとなりましたね。
因みに序文の語り文句みたいなのは、あくまでひとつの見解の場合です。作品の真意が違う場合は当然全く違うものになるのでそこはあらかじめ、です。

 *ココカラ例の如くネタバレ要素ふんだんに御座います!マダ観てない方は今直ぐ劇場へ走るのです!!!











 全体的な構成としては、男女が入れ替わり、互いが互いのこと(どういうヒトであったりとか。ただ内面まではやはりこの時点では分かり得なかった)をお互いの身体のままで知ってゆき、或る日突然入れ替わらなくなる。
 そこから一方(少年)が一方(少女)に歩み寄ろうとする中で、少女が既に死んでしまっていたということ、二人には3年間の時間のずれがあったということに気付く。
 しかし少年が少女の時を経た口噛み酒(少女の半身)を呑んだことにより、二人のヒトがリンク。繋がります。☆1(現世と見えない世界の交差したところで?)入れ替わっていた状態ではなく、少女が死ぬ原因となった3年前の彗星の欠片落下事故の直前に、本来の身体のまま、二人は時間を越えて再会します。(実は過去に1度逢っていた為)
 その5年後。奇跡的に少女は再会後の出来事☆2(少女の時間に少年が介入したことによる、また少女の尽力)によりかつての過去から離れ、未来に生き延びていました。
 ただ、互いの存在の残滓はどこかでぼんやりと残っているものの、それぞれ相手の名前(存在そのもの)を忘れてしまっていた二人は、☆3偶然街なかで出逢います。(擦れ違う電車の中で)
そうしてそこで改めて互いの名前を教え合い、「初めて」出逢う、といったところでエンドロール。



ハイ、
書いてる途中でパンクしてきました。要所要所抜けてるのはここでは気にしない。
以下補足らしきもの


☆1
ここで二人は完全に融け合いかけます。おそらくは。
ただ完全に分かり得なかった、ひとつにならなかった(もとからなれないと決まったもの?)のは口噛み酒そのものが半身という前提だったからだと思われます。
完全にわかりあっていたら現世を超え、見えない世界かどこかへいっていたかも知れません。


☆2
もともと二人が介入しあったことで、彗星の分解も起こったのかもしれない。
結局一つにはなれない、他人のまま。→彗星分解
これは曲解すぎるかも?


☆3
ここですね。
やっぱりわかりあうことはできなかった。
そして再会したとしてもそれは、他人として改めて一から出逢いましょう、というカタチ。

全く相手を知らない状態だとしても、新しくそこから知り合う(分かり合う)ことはできるよね、
それに二人には見えない何かで繋がったものがあるよ、というような。
完全に分かり合える「可能性」はちゃんとあるということでしょうかね。




書いてる途中でずれちゃったり、ちょっと纏まってないとこ多々あるやもなので、これらはひとつひとつの意見として捉えたほうがよさそうです。

 あ、ラスト付近の真逆の進行方向の電車の窓から互いが互いの顔を見つけ、ハッとし、違う個人同士のもの(世界)がここで擦れ合うっていう演出はよかったですね。今ふっと思いました。
・・・ディスク来たらこれはまた観ましょう。こんがらがってきた。


 公開前、春の時点では他人同士であるヒトとヒト、更には男女が入れ替わることで、お互いの「他人」という壁が強制的にでも崩れ、様々な差別や個性のなかでも顕著であるヒトの違いの象徴、「男女」の意味がなくなり、皆が皆繋がり合えるということを伝えるのかな、と思っていました。
(実際はもうちょっと複雑かも)
 しかし今回の作品で男女という他人同士の入れ替わりを以って、新海さんは詰まるところ☆3あたりを提示したように思えます。(真意ももしかしたら違うし、まだ突き詰められていない気もする。というかかなり。


物語の持って行き方としては私の当初の思惑とは外れたものの、勉強になるところも多々あり、意外性とともにほほぅ~という心持ちにもなりました。

でもちょっと思ったのがサービスで出てきたらしい前作の雪野先生、確か四国に行ったんじゃ・・・転任したとしても数年後・・・?それに彗星でちゃっかり死んじゃったようなことになってたり・・・まてよ、そもそもあの教室は東京のだっけ・・・(調べてみたら今作で先生が岐阜にいることについて、パンフレットには「観る人の想像次第」と書かれていたらしいです)


 何はともあれ、美術の素晴らしさがそれを底上げ増幅しているのもありますでしょうが、何だかんだ言ってもやっぱり自分の根幹は、情緒に触れる映画が大好きみたいです。いずれは私も、これよりもっと情緒を含みに含んだものをつくるのだと思います。つくりたいし。その為にも映画、加え本を漁り取り込まねば・・・!
新海さん次回作、作品としての意味でも、いろいろな面の勉強という意味でも今後も期待、期待で御座います。



して、此度は「シン・ゴジラ」・・・
爆音上映なるものもあるそうで、ヒトへの鞭そのもののようなゴジラの咆哮をビリビリと、受けてきたいですね・・・!フヘヘ・・・



アァッ!!!!

・・・また熱風取り損ねた







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 Cinema つらつら

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