きゃんどる洞窟

すらりぬらりとイデアさん[idea]、手記綴ら...

幼さ故の変容の可能性






ある時、向かいの老婆が亡くなった。


亡くなった、と言ったが実際に死んだという報告は誰からも聞いていないし、この目で見てもいない。
それどころか私は彼女について何も知らなかった。

なにも。

彼女を初めて見かけたのは、茹だるような8月初めの朝。あまり手入れされているようには見えない、見るからにボサボサの生垣の隙間からだった。
テレビを見ていた。
時節的に高校生の甲子園中継だろうか。実況のような声と、数千の蝉の中から僅かに聞こえるカキーンという金属音から勝手にそう思っていた。
彼女の木造一軒家は、当時私が一人暮らししていた引っ越し直後のアパートの真向かいにあった。外出する際にはアパートの入口から、ちょうどその家の生垣の大き過ぎる隙間が目に入り、毎日と言ってもいいほど、そこから彼女の座っているのが見えていた。出掛ける一歩手前には必ず彼女の存在を、その隙間から確認するのが日課だった。
顔も、ましてや声さえも聞いたことはない。
でも彼女がそこにいることはわかった。
毎日毎日、飽きもせず同じようなテレビばかり見ている。
当時の私は正直、彼女を軽蔑していた。
今の彼女にとって明日の地球の消滅はその目にどう映るのだろう。昔子どもの頃に負った、実は大したこともない大怪我と同じくらいの出来事になるのだろうか。
そんなの、生きている意味などあるのか。
そう思っていた。

もう蝉が聞こえ始めてから何日経ったか数えられなくなった頃、外から帰ってくる途中に、アパートの前で救急車が止まっているのが見えた。
それが何なのか。どこかでわかってはいても、あまり気に留めることはなかった。
いつの間にか私は(不思議なことにあれ程目の前にあったというのに)、生垣の隙間を見ることはなくなっていた。

それから少しして長い真夏も峠を越え、台風の季節になった。

そうして台風も過ぎた頃、ようやく太陽が顔を出したこともあり、ある日の外出する朝、何の気無しに久し振りに生垣の隙間を覗いてみることにした。

私が隙間から目にしたのは、ただの空き家だった。

そこにはあのテレビの音も、僅かに見えていた筈の彼女の首から下の胴もなかった。

その日、私の中で彼女は死んだ。

勿論彼女は今もどこかで生きているかもしれない。あの救急車も、実はただの軽い発作のようなもので、家にいないのはどこか他の場所へ引っ越したからなのかもしれない。

でも私にとって彼女は、台風が過ぎた後もちゃんと生きていたし、私が生垣の隙間から覗いた日の朝に自然と息を引き取ったのだ。

そうして私は、それを正しいと、真理であるとも感じている。

今思えば、彼女が毎日同じようなテレビを見ていたのは、飽きることにさえ飽きたからなのかもしれない。

しかし本当のことはわからない。

何時だって、誰にもわかりはしない。


そうある限り、私はおそらくこの世で最も信じられる人であろう母、彼女が死んだ時、外殻では泣けても、『私』という深奥では泣けないのだと思う。

直面したわけでもないが、今はその事実だけが、私の中に瞭然と横たわっているのである。






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